かつて「週刊朝日」に毎週、「離婚した元妻が子供に合わせてくれない」というネタでエッセイを書き続けていた歌人がいた。
様々な日常のことが綴られていても、そこに必ず元妻や子供のことが出てくる。思い出したままに書かれる。そして、悔やんだり、恨んだり、へこんだりする。
まるで友達のとりとめもない愚痴をそのまま聞いている気分になる。この人と友達になったら面白そう。などと考えてみる。
読み進めるうちにやがて元妻のことや、離婚の内情、子供のことなどが徐々に見えてくる。
そんなエッセイをまとめてあるのが、この「あるきかたがただしくない」。
赤裸々に書いてあるとかというより、個人の呟きを見ている気分。
読んでいるほうはゴシップを垣間見ているようなちょっとわくわくした気分にもなる。不謹慎だけど。
しかも、そのゴシップは他人のゴシップではなく、当事者のゴシップだから、なんとなく親近感が湧く。
あまり長くないエッセイで読みやすいし、同情を誘っている風でもなく、下手に湿っぽくなっていなくて、淡々と哀れな感じ。
まるで喫茶店で「元妻がさぁ〜子供に合わせてくれなくて〜」と言っている男の話を聞いているみたい。
そして、そんな哀れな人を「まぁまぁ〜」とほほえましく肩を叩いてやりたい気にすらなる。
面白いので、結構、お勧めだったりします。
しかし、その後、同作者の「結婚失格」を読むと、より詳しい内情がわかってしまう。
こちらは書評の本らしく、エッセイではなく小説らしい。
ただあくまで書評風・小説風という文章であり、「あるきかたがただしくない」を読んでいる人には、だいたい人物関係の実際がわかってしまうという恐ろしい本。
本人は、あとがきで事実を全て書いてあるわけではなく、虚構もあると述べている。
でも、ご丁寧にどこが虚構かという部分まで説明してあって、重ねて恐ろしい。
「あるきかたがただしくない」は結構、面白かったのだが、この「結婚失格」に関しては、ひどく気が滅入った。
たぶん、リアルすぎる。
愚痴ですんでいる「あるきかたがただしくない」は、作者の感情がメインなので気楽に感情移入もできるのだけれど、
実際の出来事の詳細が描かれ、リアリティがにじみ出ている「結婚失格」は、なんだかどろどろしていた。
結局、人間同士なんだなぁ。と。
あぁ、どっちもどっち。だったんだなぁ。たぶん。
「あるきかたがただしくない」について、作者の枡野氏は
「なんか自分で読み返した感想は、「穂村弘よりも世界音痴・・・・・・」って感じです。」と、ホームページで語っている。
でも、そもそも音痴の方向性が違うと思う。
穂村氏の音痴は、ドレミがわかんない感じ。真の音痴。
ドを押してみたけど、次にどの音を押せばいいかわかんない。
みんながドの次にレを押しているのをみて、えぇ!?レを押すの!?なんで!?と思いながらレを押してみるけど、なんかリズムが合ってない。
とか、そんな感じで、うまく世界の音楽が作れない人。
枡野氏の音痴は、ドレミはだいたいわかってる(つもりでいる)。
ドを押したあとは、絶対ファがいいでしょ!なぜなら・・・・!とかいろいろ考えた上で、世界の音楽を作る。
なのに、なぜか出来上がったメロディーが変。もしくは変と言われる。
本人は熟考しているつもりだし、自信満々だし、じゃあ、皆、ドの次にレを押す理由はなんなんだよ!とか憤ってみたりして、なんだか収集がつかなくなる感じ。
だから、私は真の音痴は穂村氏だと思っていた。
だってそもそも音感がないんだもん。
ところが、「結婚失格」で穂村氏はいとも簡単に「僕が君ならそんなことをしない」と言い切ってしまった。
私はなんにもわかっていなかったらしい。
穂村氏は、音感がないながら、意外とうまくやっているらしい。
枡野氏は、変な音楽を作りながら、意外とうまくやっていないらしい。
短歌界は面白い人が多いなぁ。(まとめ)
穂村弘「世界音痴」の過去記事
http://sleepcat.269g.net/article/12188917.html枡野浩一
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